「全面撤回」は、どの条文が消えたのか

2035年以降の新車について、EUの規則がいま課しているのは、メーカー平均のCO₂を2021年目標比で100%削減することである。90%も87.5%も、まだ法律ではない。

益田 周防海(Suomi Masuda)/株式会社I-S3 | 2026年10月28日

結論

2026年10月28日時点で、官報の規則は100%削減のままである。消えた条文はない。規制しているのは、新しく登録される乗用車と小型商用車の、テールパイプCO₂の平均である。内燃機関の製造を禁ずる条文も、いま走っているエンジン車の使用を禁ずる条文も、この規則にはない。

90%は、2025年12月16日の欧州委員会提案である。条文は「適用する」と書いてあり、議会と理事会は採択していない。

87.5%は、会派間の妥協を報じた数字である。欧州議会の手続表には、その意見書が載っていない。法律でも、議会の立場でもない。

「全面撤回」「禁止を撤回した」「EVシフトを諦めた」は、このどれとも一致しない。

1. 四つの数字は、四つの文書である

数字文書2026年10月28日の地位
100%削減(平均 0 g CO₂/km)規則 (EU) 2023/851。2023年4月19日効力がある
90%削減。残余はクレジットで補償欧州委員会提案 COM(2025) 995。2025年12月16日提案。未採択
90%。相殺なしフランスとドイツの合意。2026年10月16日二首都の政治文書。EUの法律ではない
87.5%削減に、低炭素鋼で7.5ポイントを上乗せロイターが10月20日に見た、という会派間の妥協文議会の文書番号はない。環境委員会の決定待ち

100%の原文は、EU全域のフリート目標が適用される、と書いたあとに「2021年目標の100%削減」と置いている。

90%の提案も、2035年1月1日から目標が適用される、と書いている。超えたメーカーには、超過した排出への課金がある。目指す目標と、課金のある義務は強さが違う。

フランスとドイツが10月16日にまとめたのは、相殺なしの90%を、欧州製の部品比率と結びつける政治合意である。官報は変わっていない。

87.5%は、ロイターが「合意のテキストを見た」として報じた内容である。乗用車は87.5%削減とし、EU製の低炭素鋼で7.5ポイントを上乗せする。足すと95%で、100%には戻らない。同じ記事は、これが議会の立場になるには会派の承認がまだ要る、とも書いている。Agence Europe は10月22日、委員会が妥協修正を可決したと伝え、乗用車に限り残余を95%まで低炭素鋼で相殺する条件で目標を87.5%とする、と引用している。手続表の状態は、10月28日も「委員会決定待ち」のままである。

本会議の目安は、手続表では11月23日、Agence Europe では産業加速法の12月の採決のあと、と分かれている。日付が揃っていないのは、採択が終わっていないからである。

理事会の進捗報告は、2026年3月17日の環境理事会で政策討論があったことと、90%を支持する国、100%を維持したい国、さらに下げたい国が併存することを書いている。合意の文言ではない。

規則の前文には、CO₂中立燃料だけで走る車を、2035年より後にフリート基準の外で登録する提案を委員会が行う、とある。採択済みの100%を消す文ではない。対象は、専らCO₂中立燃料で走る車に限られる。

2. 「禁止」が指しているもの

日本語の「エンジン車禁止」は、結果と手段を一つにまとめている。

規則が課しているのは、新車の平均CO₂である。2021年目標から100%減らせば、平均は 0 g CO₂/km になる。テールパイプでCO₂を出す車を、その平均の中に大量には置けなくなる。だから「実質、新車のエンジン車は売れなくなる」は、100%目標の効果としては近い。

それでも、次は別の文である。

「全面撤回」と書く記事は、このうちのどれが、どの官報で消えたのかを示せていない。示せないのは、消えていないからである。

3. 90%でも、ハイブリッドが主流には戻らない

提案が成立したと仮定しても、エンジン車を自由に売ってよい、にはならない。

2025–2029年の乗用車目標は 93.6 g CO₂/km で、2021年目標から15%減らした値である。割合の基準になる2021年目標は、93.6 ÷ 0.85 = 110.1 g CO₂/km である。

90%削減のあとフリートに残るのは、その10%で約 11 g CO₂/km である。提案は、この残余を低炭素鋼のクレジットか、持続可能な再生可能燃料のクレジットで補償することを条件にしている。燃料クレジットは2021年目標の3%まで、低炭素鋼は7%までである。3%と7%を足すと10%になり、残した約11 g を埋める設計と桁が合う。

120 g CO₂/km のガソリン車を置き、残りを 0 g の車にする。平均を 11 g に収めるには、120 g の車はフリートの約9%までである。90 g のハイブリッドなら約12%までである。過半がハイブリッドの市場には戻らない。

87.5%の説明を額面どおり使うと、テールパイプに残るのは約 14 g CO₂/km である。120 g の車なら約12%、おおよそ9台に1台である。鋼の上乗せは排出そのものを消すのではなく、削減率の算定に最大7.5ポイントを足す。テールパイプの約14 g は残る。ハイブリッドが過半を占める許可にはならない。

バンについては、提案が2030年目標を50%削減から40%削減へ下げ、委員会の妥協はさらに緩い数字を伝えている。乗用車の話とバンの話を、一つの「禁止撤回」にまとめない。

4. 見出しは撤回、本文は提案

2025年12月16日、ロイター日本語の見出しは「EU、35年のエンジン車禁止計画を撤回 業界の圧力で規則緩和」だった。

本文には、次の両方が書いてある。

承認が必要だという文は、提案が法律ではないことを伝えている。見出しはその文を載せていない。「目指す」は、提案の「適用する」とも一致しない。

業界が緩和を求めていたことは、同じ記事がフォルクスワーゲンのコメントとともに書いている。緩和を求めたことと、禁止が消えたことは別である。

翌日、日経、読売、産経、毎日、時事、共同が「禁止撤回」を見出しに並べた。一人の筆者が同じ誤りを繰り返したのではなく、一つの配信を各紙が同日に処理した経路で説明できる。

一つの動詞と一つの見出しが、翌日の国内紙と、その一週間後の署名コラムに届いている。

5. 池田直渡氏の三つの完了形は、互いに両立しない

自動車ジャーナリストの池田直渡氏は、2035年の規制はもう終わった、と完了形で書いている。次の3本は、完了形が互いに食い違う。

2024年12月31日、レスポンス

「EVシフトの大減速、COP消滅の危機…2024年を振り返りこの先を考える」

その兆候が明確化した最初の事件は2023年の欧州委員会によって検討されていた2035年以降の内燃機関車販売禁止案が廃案になったことだろう。

元々欧州委員会は、欧州理事会の諮問機関にすぎず、規制決定の議決権はない。

規則 2023/851 は2023年4月19日に採択されている。2024年末に「廃案」と書くのは、官報と日付が合わない。2023年3月にドイツが合成燃料を争点にして、理事会の採択を止めかけた局面はあった。その後に規則は成立している。争点があったことと、廃案であることは別である。

欧州委員会は、欧州理事会(首脳の会議)の諮問機関ではない。通常立法手続では、委員会が提案し、欧州議会とEU理事会(閣僚の理事会)が採択する。委員会に閣僚理事会の票がないことと、委員会が諮問機関であることは別である。諮問機関は、欧州経済社会委員会のような別の機関である。

この説明に必要だった官報と条約の構造は、2024年12月31日の時点で公開されていた。

2025年12月23日、note

「欧州委員会、再びの『EV手のひら返し』とEVの近未来」

2025年12月16日、欧州委員会は2023年の採択以来方針としてきた「内燃機関禁止」を撤回した(提案は21年)。

「2035年までに二酸化炭素の排出量を21年比で90%削減することを目指す」と、あくまでも譲歩である風を装って抵抗の姿勢を見せているが、「90%削減を義務付ける」ではなく「目指す」とせざるを得なかったところに、本音が見え隠れする。

12月16日にあったのは改正の提案である。規則は同日に廃止されていない。「撤回した」は、提案の採択を飛び越えている。

「目指す」は、条文から見つけた動詞ではない。日本語ロイターの「90%削減することを目指す」と同じである。配信の動詞を、委員会の本音の証拠として使っている。条文が「適用する」と書き、超過には課金を置いている以上、その推論は立たない。

同じ記事には、オールEVの終わりがオールHEVを意味しない、という留保がある。その留保は妥当である。留保が、「撤回した」の誤りを消すわけではない。

2024年末の「廃案」と、この「2023年の採択以来の方針を2025年に撤回」は、同じ説明として両立しない。2023年に廃案なら、2025年まで「採択以来の方針」は残っていない。2025年に撤回したなら、2024年末の廃案は誤っていた。後の記事は、前の記事を訂正する形になっていない。

2026年、グーネットマガジン

「SKYACTIV-Z 次世代内燃機関に挑む」のリード。

昨年末、欧州委員会が2035年の内燃機関禁止を見送ったことで、オールEV化にはだいぶ時間が掛かりそうだという認識が広がった。EVの普及は中期的に見て20〜30%程度で頭打ちになりそうである。

「見送った」は、廃案でも撤回でもない、三つ目の完了形である。未成立の提案を、禁止が中止された話にしている。

20〜30%の頭打ちは予測である。欧州自動車工業会(ACEA)が2026年1月27日に発表した2025年のEU通年では、電池式電気自動車は新車の17.4%(1,880,370台)で、前年の13.6%より高い。頭打ちだという認識が広がったことと、販売が頭打ちであることは別である。予測が外れたかどうかは、この先の通年を見てから書く。

3本に共通しているのは、官報ではなく「禁止は崩れた」という見出しに、動詞を合わせていることである。3本のあいだで、前の文を直す記述はない。

6. 2025年のEUでは、電池式電気自動車のシェアは上がっている

ACEAの2025年通年(EU)は次のとおりである。

動力シェア台数または前年
電池式電気自動車17.4%1,880,370台。前年13.6%
ハイブリッド34.5%3,733,325台
プラグインハイブリッド9.4%1,015,887台。前年7.2%
ガソリンとディーゼルの合計35.5%前年45.2%

ドイツの電池式電気自動車は前年比43.2%増である。2023年末にドイツの補助金が打ち切られたあと、販売が落ちた月はあった。その単国・単年の落ち込みを、2025年のEU通年と混ぜると、「売れなくなった」が作れる。Eurostat も2026年7月31日に、2025年の電池式電気自動車の新車登録は前年比29.7%増だったと発表している。定義はACEAと違い得る。主たる数字はACEAである。

ハイブリッドの台数増は、電池式電気自動車の減少を意味しない。増加幅が大きい方を「勝者」と呼ぶのは、増分の比較であって、規制が誰を勝たせたかという比較ではない。

メルセデスやボルボが、2030年に自社の新車をすべて電気自動車にする、という経営目標を修正したことと、EUの2035年規則が廃止されたことは、別の出来事である。真壁昭夫氏は PRESIDENT Online の2024年9月17日の記事で、その企業目標の修正を、見出しの「全方位戦略が正しかった」に接続している。企業目標の修正から、その結論は出てこない。

7. 「テーブルから消えた」は、政治家の文である

ドイツの Tagesspiegel(2026年10月21日)は、欧州人民党の Manfred Weber 氏が「エンジンの廃止は、これでテーブルから消えた」と語った、と伝えている。対象は、委員会採決の前の党派間の妥協文書である。官報は更新されていない。

イタリアの Gazzetta dello Sport(2026年10月20日)の見出しは、2035年のガソリンとディーゼルの新車販売停止について、合意があり欧州は考え直した、と読める。同じ記事の本文は、合意は政治的であり、規則になるには議会と政府の共通テキストが要り、時期の見込みは2027年春だと書いている。見出しと本文が、同じ新聞の中で強さを違えている。

この型は、翻訳の事故ではない。ドイツ語の政治スローガンにも、イタリア語の見出しにもある。

8. 見出しで見る四つ

  1. 1. 官報の規則か、委員会の提案か、議会に文書番号のない妥協か、政治家の発言か。
  2. 2. 「禁止」は、新車の平均CO₂か、機械の製造か、既存車の使用か。
  3. 3. 削減率を変える話が、規則の廃止になっていないか。残る排出に、クレジットの条件が付いているか。
  4. 4. 見ているのは台数か、シェアか、前年比か。企業の自主目標を、EUの規則と同じ「撤回」と呼んでいないか。

FAQ

2035年のエンジン車禁止は撤回されたのか

撤回されていない。官報の規則は、2035年以降の新車について、メーカー平均のCO₂を2021年目標比で100%削減する条文のままである。90%は未採択の提案である。

87.5%ならハイブリッドが主流に戻るのか

戻らない。ロイターが2026年10月20日に見たと書いた妥協は、テールパイプを87.5%削減し、EU製の低炭素鋼で7.5ポイントを上乗せする、という内容で、合計は95%である。テールパイプに残る平均は約14 g CO₂/km で、120 g の車はフリートの約12%までである。法律でもない。

「90%削減を目指す」は委員会の条文か

違う。提案の条文は「適用する」である。日本語ロイターの「目指す」は、この動詞と一致しない。

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